手の癒やす力について考える~人間が昔から持っているのに今忘れつつあるもの

歌舞伎や時代劇を見ていると、女の人が「持病の癪(しゃく)」(癪とは病気のこと)などと言いながら、「あ~いたた、いたた…」と、水落のあたりを手で押さえる場面を見たことがある人も多いのではないでしょうか。今回は、痛いところに思わず手が行く、「手の癒やす力」について考えてみます。

なぜ痛いところに手が行くか?~さまざまな仮説

歌舞伎「鳴神(なるかみ)」。「鳴神上人」を堕落させようと雲絶間姫(くものたえまひめ)が「あ、いたた」と仮病をしてみせて、鳴神の手を自分の胸にさわらせるシーン。「仮名手本忠臣蔵」の祇園一力茶屋で、遊女お軽が夫の死を知らされ、ショックのあまり急に胸痛を起こす場面でも、手で痛いところを押さえる仕草が印象的です。

この、痛いところに思わず手が行く、人間の行動はなぜなのか? 

「持病の癪が…」の仕草

NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」も取り上げていました。痛いと感じるのは脳であること、脳は、人間が感じるさまざまな感覚に優先順位をつけているそうで、手を当てたとき、「その触覚の方が大事」と脳が認識することで、痛さが触覚の次になって感じ方が軽くなるという説明でした。

手に痛みを癒やす力があるのではないか、と思われる方も多いかもしれませんが、どうもそうではない、ということのようですね。

気功のように身体から気のようなエネルギーが出て痛みを治しているのではないか、と思っていた方も多いと思います。気などと言うと、目に見えないものですから、科学とは対極にある、場合によってはいかがわしいもののように考える方もおられるかもしれません。

一方、手の癒やす力を科学的に証明しようという流れもあります。英国には「セラピューティック・ケア」、スウェーデンでは「タクティール・ケア」というのがあるのですが、人の手で身体にやさしくふれたりなでたりることを、高齢者や子供、病気のある人へのケアに活用しようと実践している方たちがいらっしゃるのです。その効果を、科学的に検証しようという試みもあるようです。

日本にはかつて、この「手を当てる」という、とても本能的な人間の行動を、治療まで高めた人がいました。野口整体の創始者、野口晴哉さん。1923年、関東大震災のときに、疫病で苦しむおばあさんに手を当てたところ症状がよくなり、噂を聞きつけてたくさんの人が押し寄せてきたそうで、そこから野口整体が生まれたそうです。

お母さんが子供に無心で手を当てる

野口整体では、「手を当てる」ことを、「愉気」(ゆき)といいます。「愉気する」といったりします。一般には流布しない言葉ですが、愉快の「愉」という文字が何となく楽しそうだし、また「ゆき」というやさしい響きが、個人的には好きです。

特筆すべきことは、野口晴哉は、愉気を専門家の技として高めた(こういう症状のときには、身体のどこどこに手を当てるという治療法を精緻化した)だけでなく、普通の人が普通に使えるように広めていったことです。

お母さんが子供に無心で手を当てることが、愉気のお手本なのだそうです。

女優の大竹しのぶさんは、息子さんが4歳だったとき喘息がひどく、ある晩ひどい発作を起こしたそうですが、それを義父の明石家さんまさんが「気で治したる」と言って、一晩中息子さんの胸に手を当て続けたのだそうです。

夜がしらじらと明け始めたとき、さんまさんが「もう大丈夫や」と言われ、息子さんの呼吸が正常に戻っていた、とのこと。それから息子さんは1回も発作を起こすことなく、薬も飲まなくてよくなった、と書かれていました。(朝日新聞2015年12月11日大竹しのぶ「まあいいか」)。

さんまさんが「愉気」という言葉をご存じかどうかは分かりません。しかし、これは正に愉気だと思いました。

これほどすごいものでなくても、私もよく愉気をやります。愉気は、人にすることもできれば、自分にすることもできますから、自分の痛いところに愉気をするのです。

よくやるのは、目が疲れたというときに、目に愉気をすること。歯が痛い、首が痛いと、顎や首の周りに手を当てたり。便秘のときには、盲腸のあたりに愉気をすると、どっと便通があることもあります(服の上からでもOK)。

目に愉気をする

ここまで読まれた方は「手を当てるだけでいいんですか?」と疑問を持たれるかもしれません。次に、愉気のやり方をご説明します。やり方のコツには、2つのポイントがあります(15年くらいやってきた私の経験です)。

「気持ちいい~」を伝え合うことで元気になる

一つ目のコツは、背骨で深呼吸をして(息を吸うときに背骨の下から上へ通すような気持ちで息を吸いあげる)、その吸い上げた空気を、今度は手の方に送って、手の平から息を吐くような感じで、「ふっ」とか「ふうぅ~~」と吐くのです。

背骨から手に気を通す

もう一つのコツは、無心で手を当てるということです。病気や病人のことを心配すると、その心配や不安の気持ちが伝わってしまうので、あまりよろしくない。また「治してあげよう」という気持ちも押しつけになってしまうのでよくないとのことです。

自分が無になって、相手の身体を手で感じる、頭でああとかこうとか考えずに、ただただ感じるだけ。手で「傾聴する」みたいな感じでしょうか。

手で相手の身体を感じて、その身体がもし動こうとしていたら、その動きを手や指でやさしくなでたり支えてあげます。そうすると、相手の身体が「気持ちいい~」という感じになります。

相手の「気持ちいい~」が自分に伝わると、今度は自分がエネルギーをもらって元気になるから不思議です。これが、「気が通じる」ということなのかもしれません。

手を当てることが、結果として、身体が良くなろう、治ろうという力を引き出していくことになるようです。

しかし、それはあくまでも結果であって、最初は「良くしよう」「治そう」と思わずに、「無」とか「無心」というのが、いかにも東洋の深い叡智という感じで、私は気に入っています。

そして、誰でも持っている本能的な力なのですから、これを生かさない手はない!と思うのです。

愉気を知っていると、とっさの応急手当になると思います。例えば、患者の病気が急変して救急車やお医者さんがまだ到着しない、というときに、家族は、本人が手を当ててほしいというところに手を当てることで、何もできずにただ手をこまねいて見ているだけという、無力感を感じなくてすむかもしれません。

被災地等で医療がなかなか届きにくい、あるいは普段飲んでいる薬がなくて困ったというときも、この愉気が、いざというときのお守りになるかもしれません。新型コロナの時代で、他人に手を当てるのははばかられるかもしれませんが、家族でしたら、苦しみや痛みを軽減するためにやってあげるとよいのではないでしょうか。

ええと、このことが日本舞踊と何の関係があるの?といわれそうですね(苦笑)。愉気は、人間がもともと持っていた身体の力なのですが、それが今や圧倒的な科学文明の前に、忘れ去られようとしているような気がします。そして日本舞踊も、失った身体の力を取り戻す営みの一つです、と言ったら、ちょっとこじつけっぽいですね(苦笑)。


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