日本舞踊は膝を痛めるか?いや、強めます!

私が教えている方には、ご高齢者の方が多いことを書きました。

80代で日本舞踊を始め、90代の今もお稽古を続けるKさんのこと

「高齢者の方は膝痛さんが多くありませんか?」という質問をいただきました。高齢の方には日本舞踊に感心を持つ人は少なくありません。しかし若い人に比べて、膝や腰に痛みを抱えている人も多く、二の足を踏んでいらっしゃる方も少なくないと思います。

私はそんな方々に申し上げたいのです。「日本舞踊は、膝を強めることができます!」

日本舞踊では床に座った状態から立ったり、また座ったりと、膝には負担の多い動作があります。

それなのに、膝を痛めるより、かえって膝を強くするというのは逆説的に聞こえます。これは私自身の経験によるものです。これまでも何度かそのテーマにふれてきましたが、改めて真正面からそのことについて書いてみたいと思います。

キャリーバッグに頼って歩くSさん、お稽古で「太ももに筋肉がついてきた」

最近入会され、お稽古を始めたばかりの70代の女性Sさん。膝が痛くて曲げられず、正座をすることもできません。外出するときは、杖やキャリーバッグに頼って歩いています。しかし、お稽古を始めて2カ月で、中腰ができるようになり、「太ももに筋肉がついてきた」とおっしゃっています。

初めは1分の短い曲から始めましたが、歩くときと立った姿勢の重心が、杖やキャリーバッグに頼っていたせいでどうしても前にかかります。「重心が前にかかると、膝を痛める」と指摘しました。「膝という関節を使うのでなく、膝を支えている膝まわりの筋肉を使う」というイメージで重心を後ろにかけることをお伝えし、もちろん私が実際にやって見せ、一緒に繰り返しやっていただきました。

私が「きれいに踊れています」と声をかけると、「太ももが痛いです」とおっしゃるのです。2カ月ですが、「筋肉がついてきた」とおっしゃいます。

そして、以前は立った姿勢で両膝が開いてしまったけれど、今は股を締めてくっつけることができるようになったとのこと。固まっていた関節や筋肉が少しずつほぐれて、やわらかさを取り戻しつつあるようです。

70代というのは、80代の人に比べれば、まだまだ柔軟さがあります。しかも、Sさんはかつて殺陣(たて)をお稽古していた時期もあって、なかなか立ち姿がかっこいいのです。私が指導する言葉も、殺陣を習っていた時との共通点を感じられているようです。黙々と一人で努力されているSさんを見ると、「今はできない正座が、いつか本当にできるようになるかもしれない」と期待も膨らみます。

痛みは良くなるチャンス

「グルコサミン」「コンドロイチン」。テレビでは歩行機能を助けるとうたった健康食品のCMがかまびすしいですが、それほど、膝の関節痛に悩む高齢者が多いということでしょう。

今の時代、膝の関節痛で歩行に不安を持つ人が増えているとすれば、それは高齢で長生きされる方が増えていること、栄養状態がよくなって体重が重い人が増えていることもあるでしょう。それ自体は、社会が豊かになった証だと思います。

一方、この数十年で、和室で正座をしたり、和式トイレでしゃがむことが、生活の中から急速になくなってきています。つまり膝に負担をかける生活行為が減っているのに膝痛に悩む人が増えているのは、もしかしたらかつての日本の、正座やしゃがむという生活行為が自然と足腰を鍛えていて、そうした足腰の筋肉を使わなくなったことで衰えているという仮説も成り立つのではないでしょうか。

リハビリ医学の世界では、こうした使わないことによる衰えを「廃用症候群」と言っているようですが、要するに、下半身の運動不足による足の筋力低下、もっというと、身体の使い方の問題があるように思います。生活が洋式化、バリアフリー化すればするほど、そのほうが身体にとっては楽ですからなまけてしまいます。かえって足腰の使い方が下手になっているのではないかと、私は思うのです。

日本舞踊では座ったり立ったりを頻繁に行う動作は、その結果として膝を痛めてしまうというより、座ったり立ったりを頻繁に行うことで、膝周りの筋力を高め、膝を痛めない身体の使い方を身につけることができるのではないかと考えるのは、このためです。

そして「痛い」というのは、「身体の使い方が間違っているよ」と、身体が教えてくれているわけですから、「痛くない」ように身体の使い方を見直すチャンスでもあるのです。

とはいっても、無理をして壊してしまっては元も子もないので、膝が痛い人は座ったり立ったりという動作はやらせません。高齢者の場合、座る動作を立つ動作に変えたり、ということは良く行われていると思いますが、Sさんのようなやる気のある方には、もう一歩掘り下げてみます。例えば、まずは立った姿勢、歩く姿勢という基本を丁寧にたどり、その中で、「ちょっとだけ無理をする」動作はどのあたりか?を考えるのです。

例えば、片足立ちからトンと拍子を踏めないか?おすべり(片足ずつ後ろに足をすべらせる日本舞踊独特の動作)はできないか? その日の体調を聞いたり、季節や気候によっても「ちょっとだけ無理」の内容を変えていきます。

膝を痛める踊り方と痛めない踊り方の違い

私が膝を痛めない踊り方について問題意識をもったのは、今のお師匠さんとの出会いが大きいと思います。

今の師匠に習い始めたのは数年前ですが、実に身体の使い方を丁寧に教えてくれ、それまでの間違った身体の使い方を細かく徹底的に注意されました。

つまり、私自身が、膝を痛める間違った踊り方をしていて、それを直された当の本人なのです。

我が師匠から「それじゃあ、膝を痛めるよ」と言われた第一は、「腰の入れ方」です。「腰を入れる」というのは、分かりにくい日本語ではありますが、それまでの私は「腰を落とす」ことだと間違って理解していました。もちろんそれは間違いで、正しくは腰と股周りの筋肉を使って恥骨を下げ鼠径部を引き、骨盤をまっすぐ立てることです。腰を落とすだけだと、お腹が出て、「格好悪い!!」と何度も注意されました。

お腹が出た悪い腰

第二は、重心を前でなく後ろに置くことです。後ろにおけば、膝に負担はかかりません。ちゃんと重心が後ろになっているかいないかは、支えている足の太ももが痛くなることで分かります。

骨盤をまっすぐ立てる。重心は後ろに

ただ、日本舞踊には、重心を前にかける振りもあります。代表的なものが女形の「ねじり込み」ですが、このときは前の膝に負担がかからないように、後ろの足の膝で支えます。前の足と後ろの足がほぼ直角にやぐらを組むように支え合って、膝だけに力がかかることはありません。

ねじり込み

第三は、男形で、膝がちゃんと割れていること。膝の割りが不十分で、足先だけ外を向いていると、膝を痛めてしまうのです。これは、我が師匠が太極拳も師匠級の腕前で、太極拳と日本舞踊の両方を見て、気づいたことだそうです。太極拳でも、足先と膝の曲がる方向が一致していないと美しくない、とのこと。

膝が割れていない悪い例(十数年前の私)

足先と膝の曲がる方向を一致させる

以上から、正しい日本舞踊の振りでは、まず膝を痛めることがないということ、膝を痛めるとすれば、それは間違った身体の使い方をしている、というのが根本としてあるといっていいでしょう。

ただ、正しい日本舞踊の踊り方でも、たった一つだけ膝を痛める振りがあります。それはおじいさんおばあさんの歩き方です。みぞおちをおとして背中を丸め、膝を前に突き出すお年寄りの歩き方は、「膝を痛めるのでなるべくお稽古をしないように」と、我が師匠は言います。お稽古をするなら、「数少なくやりなさい」と。何度も何度もお稽古すると、膝を痛めてしまうからだそうです。

「おじいさん、おばあさんの歩き方」が日本舞踊の型として残っているということは、昔の人も、歳をとると膝を痛める歩き方をするようになる、というのをきちんと観察していたということですね。面白いなぁと思います。