お師匠さんの「丁寧に踊れ」の意味と、胸から二の腕の形を美しくする方法

「踊れる身体づくり」にこだわる理由

私の教室では、特徴の第一に「踊れる身体づくりにこだわります」を掲げています。

踊りが美しくなるために、どういう身体の使い方をしたらいいのか?――それは私の長年の問いでした。「上手に踊れない」「美しく踊れていない」と自覚していたからこそ、ずっと考えてこざるを得なかったのです。

15年以上,野口整体に取り組んできたのも、身体の使い方を根本から考えたかったからでした。今はロルフィングというアメリカ生まれの身体教育を受けていますが、日本舞踊の身体の使い方につながる新しい発見が、日々あります。

身体という面では、私の50代後半という年齢は、筋力が下降線ではあることは間違いないでしょう。しかし、長年の経験による“身体の知恵”も蓄積され、身体の使い方が向上していることもまた、間違いありません。一度できた神経の回路はなくならないのです。整体やロルフィングは、それを実感させてくれます。

身体感覚を目覚めさせ、育てる

ロルフィングのセッションでは具体的にどういうことをやるかというと、あるときは面接、あるときは指導者が身体を触って働きかけてくれることで、感覚を高めるというプログラムになっています。

上の図はロルフィング協会のシンボルマークです。左の身体が右の身体になるように、指導者の方が面接や手技を使って指導してくれます

私達が普段意識していない身体の部分を「意識してください」と言われて、さっぱり分からないこともしばしばです。例えば、「肋骨と肩甲骨の間を意識して」と言われて、「どこ?それ?」という感じです。そこで指導者の方が、人体の模型を見せて視覚的に教えてくれたり、実際に触ってくれて、「ここですよ」と教えてくれるので、自分で触って「あぁ、ここね」と分かるようになります。

なぜ意識するかというと、身体の部位はそこを意識することによって、その部分が目覚めるからです。「どこにあるのか分からない」というのは、無意識にちゃんと動かしているか、動かしていないから意識していないかのどちらかで、大抵は動かしていないから意識していないのです。そこで意識することによって、目覚めさせて、そこにちゃんと動いてもらい、例えば今までできなかった所作をできるようにしていく、という仕組みのようなのです。

私はそれまで「意識する」ことは良くないことだと思っていました。スポーツで、よくいわれますね。「試合で勝ちを意識したら、固くなってしまった」とか。私も意識すると、カチンコチンに緊張する性格です。

しかし、この場合の「意識する」はそれと違うようです。どう違うかというと、「自分を客体として考える」か「自分を主体として感じる」かという違いかなと思います(う~~ん、説明するのが難しい)。

「自分は緊張して心臓がドキドキして、上がっているぞ~」。「あがっている、マズイ。何とかしなくては」と、頭が身体をコントロールしようとするのか。胸に手を当て、呼吸に意識を向けて、あたかも自分が心臓のようにそれを感じるのか。前者が身体にとって「無理やり」されている感じがあって、後者の方が身体にとって解(快)のようなのです。

「気を入れる」「気を通す」の意味

自分を客体としてでなく、主体として感じる。この意識の向け方を、古来日本人は「気を入れる」「気を通す」という言葉で表してきました。気とは気持ちであり、「気持ちを入れる」というと、分かりやすいでしょうか。頭で考える意識でなく、感じるセンサーをオンにする。神経を行き渡らせるような感じではないかと思います。

80歳代前半の我が師匠は、「手に気が入ってない!」「腕に気が通ってない!」という言い方をして、私の踊りを注意されます。気が入っていない手と気が入っている手の違いとは、踊っている自分側から見ると、その手を意識しているか(神経が行き渡っているか)、していないか(神経が行き渡っていないか)なのですが、踊りを見ている側からは、美しい形になっているか、ダラッとした手なのかなので、差は歴然です。

胸から二の腕の形

手はまあまあ意識しやすい場所ですが、意識しにくい場所もあります。例えば、二の腕。男型の踊りで、二の腕が張れずに肘を張ってしまい、お師匠さんにいつも注意されていました。手取り足取り形を修正され「この形を頭にたたき込んで!」と言われても、次の瞬間、感覚がすぐ抜けてしまいます。二の腕をどうやったら形良く張れるのか?「二の腕が感じられない」「二の腕がどこにあるのか分からない」。私は頭を抱えていました。

この写真は悪い例です。二の腕が張れていないため、特に左の肘が張りすぎています

ある日のロルフィングのセッションで、「胸と腕周りの筋肉を意識するために、脇にタオルを丸めてを挟んでみては」といわれて、試したところ、タオルが当たって二の腕が意識できるではありませんか。「これだ!」と気づきました。

ところが、脇にタオルを挟みながら踊ることは、タオルが外れてしまうので不可能です。そこで、二の腕に、使い古しのヘアゴムをつけてみました。やった!常に二の腕を意識しながら踊ることができ、二の腕と自分の脇や胸の間にある空間の感覚をつかむことができました。

二の腕の感覚をつかむ工夫。脇タオル(上)と二の腕ゴム(下)

こうして男型の、かっこよい二の腕の形ができはじめると、今度は女形の胸の張りの形が良くなってきました。本当にこれは、涙が出るくらい嬉しい、身体感覚の獲得でした。

「鏡を見るな」は理にかなっていた

我が師匠はいつも口酸っぱく「丁寧に踊りなさい!!」といわれます。そしてふたことめには、「10代目はいつも『丁寧に』とおっしゃっていましたよ」と。

今は亡き10代目三津五郎家元は、誰もが認める踊りの名手でしたから、その言葉は決めぜりふといってもいいのです。

当初私は、この決めぜりふが出たときに、「一体どうしたら丁寧に踊れるのか?!」と頭を抱えました。なぜって、師匠の前では精一杯丁寧に踊っているつもりなのに、「丁寧でない」と言われてしまったら、一体どこをどうすればよいのか?と。

しかし、今なら分かります。お師匠さんから見て「丁寧に踊れていない」なら、そこに私の意識が行っていないということ。「丁寧に」というのは、身体のすみずみまで気を通せ(神経を行き渡らせよ)、自分の身体がやっていることとして意識せよということなのだと。

だから、昔の人は「鏡を見るな」と言ったわけですね。まぁ、昔は鏡がなかったからなのですが、鏡で見てしまうと、自分の踊っているのを主体(自分ごと)としてでなく、客体として(客観的に)見てしまう、その弊害を恐れたのでしょう。

日本の伝統芸能のお稽古をアメリカ生まれのロルフィングからみることによって、「鏡を見ない」ことも、精神論でもなんでもなく、実は身体(脳や運動神経)にとって理にかなったものであることを知ることができたのは、大きな驚きでした。

参考↓「下手の横好き」研究~上達のへの長く曲がりくねった道…小見出し『鏡のお稽古、動画(ビデオ)のお稽古』のところ

「下手の横好き」研究~上達への長く曲がりくねった道


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