「腰を落とす」との違い
日本舞踊では、「腰を入れる」ということがやかましく言われます。歩くとき、ポーズを決めるとき、だいたいは「腰を入れる」。日本舞踊の基本であり、「型」といえます。
日本舞踊をはじめたばかりの人にとって、「腰を入れる」という日本語は意味が分かりにくいかもしれません。「腰を落とす」?「中腰」?つまり、膝を曲げて腰を低く落とすことだと思われるかもしれませんね。かつての私がそうでした。
しかし、「腰を入れる」と「腰を落とす」は違います!いろいろな本を読むと、どの本にも「腰を入れるというのは、単に腰を落とすことではありません」という主旨のことが書いてあるので、そのくらい間違われやすいということなのだと思います。
花柳千代さんは名著『日本舞踊の基礎』(初版1981年)で
「第五腰椎、尾骶骨、丹田=へその下あたり=を下げることを、腰を落とす、入れるという」(p.80)
とおっしゃっています。
西形節子(藤間すみれ)さんは『日本舞踊の研究』(1980年)で、次のように筋肉の使い方まで細かく言及されています。
「尾骶骨を床に向かって垂直に下ろす。このとき大腿直筋を内転(女方)、外転(立役)させ、足の裏は床に密着していること重心の位置は踵におき、上体が前傾、後傾、左右に傾かぬよう保つことが必定、上体の安定する高さは高すぎても、低すぎてもいけない。その目安は、右の条件を前提に、上体を垂直に下ろすと大腿直筋に緊張の度が加わり、痛みを感じ、それ以上は、低くならなくなる。これが腰の入った状態といえる」(p.96~97)
言葉で読むと難しく感じるかもしれません。
しかし、お稽古で私がお師匠さんからいつも厳しく注意されているのは、この西形先生の言葉に近いものがあります。
1)恥骨(または、臍下丹田)を地面に向ける
2)体はまっすぐ落とす(右や左、前や後ろに傾くと、「体、曲がってるよ!」と注意されます)
3)1と2の結果、お腹を引っ込める(「お腹出てるよ!」と注意されます)
お腹が出ている悪い例
4)正しく腰が入っているかどうかは、太ももが痛ければOK!
この1)~4)が分かりやすいと思いますので、私が人に教える際にもそういうふうにお教えしています。
「太ももが痛い」――十代目三津五郎家元は、「一番痛いところが美しい姿勢」なのだとおっしゃっていたそうで、ご著書にも同様のことを書かれています。お稽古で「一番痛いところまで」を実践していると、痛くないと気持ちが悪い、とか、痛いことがだんだん快感になっていくようです。私自身、まだまだ甘い!と自覚せざるをえません。
下半身の「腰が入る」と美しい上半身は表裏一体
あるとき偶然ですが、十代目家元の面白い言葉を見つけました。舞踊家・花柳輔蔵さんが、格闘技家の髙阪剛さんに日舞の体の使い方を教えるという対談企画(糸井重里さんが主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」の中の企画2007年12月)で、輔蔵さんが次のようにおっしゃっています。
「坂東三津五郎さん、前名を八十助さんとおっしゃいましたけれど、その方が『腰を入れるっているのはどういうことか』というのを、製氷皿の水を冷蔵庫に持って行くとき、そろそろっと歩きますよね。それを『腰を入れる』というんだと(おっしゃっていました)」
https://www.1101.com/karada/2007-12-24.html
製氷皿の水を冷蔵庫に持っていくときのそろそろした歩き。それこそが、「腰の入った」歩き方である!なんて、日舞を知らない人にも、とてもイメージしやすいたとえですね!
踊りですと、上半身が美しく自由に動くためには、腰が入って、下半身は安定していないといけないということだと思います。特に、首を振るときは、しっかりと頭からお尻まで一本の軸が通っていないと、きれいに首を振ることはできないものです。
東京オリンピックで、初めて採用された空手の型。選手の皆さんの、上半身がまったくブレない足腰の美しさに惚れ惚れしましたが、これも「腰が入った」美しい形といえます。
「腰が入る」をちょっと哲学してみる
ベストセラー『声に出して読みたい日本語』(2001年)で知られる明治大学の斉藤孝教授は、日本には伝統的に腰や肚(はら)を重要視する「腰肚(はら)文化」ともいうべき身体文化があったとおっしゃっています。
「あった」ということは、今は「ない」ということで、世代から世代へ受け継がれなくなってしまった――斉藤教授は20年前、そのことに危機感を抱いておられました。
「自分がしっかりここに存在していると感じられるためには、心理面だけでなく、身体感覚の助けも必要である。現在の日本で、自分のからだに一本しっかりと背骨が通っていると言うことができる者はどれだけいるであろうか。あるいは『腰が据わっている』や『肚ができている』や『地に足がついている』といった感覚を自分の身において実感できている者はどれだけいるであろうか」(『身体感覚を取り戻す~腰・ハラ文化の再生』2000年 p2)
この本が出版されてから早20年たち、自らを省みても、日本人の「腰」や「肚」はますますあやふやになっているといえるかもしれません。私達の親やお師匠さんなど戦前生まれの、80歳代の一本筋が通った生き方と比べると、自分のなんと「腰のない」「腰抜け」状態でありましょう。
「腰」とは、人間の身体の要であると同時に、生きる姿勢そのものが現れるそうです。そのことを教えてくれたのは、斉藤孝さんの本もそうでしたが野口整体の創始者・野口晴哉さんの本でした。
どういうことかというと、「本気で生きている」、例えば自分がやりたいことや好きなことを「こう」と決めたら一途に一生懸命取り組んでいると自然と「腰が入る」というのです。逆に、言い訳がましく生きていれば、「腰が抜け」てしまうらしい。
これは日本人が昔から持っていた生活哲学のようで、この哲学と私達の身体が深くつながっているようなのです。私が日本舞踊のみならず、日本の伝統文化や、身体文化としての整体を愛好するのは、根っこで深くつながっていると感じるからでもあります!
そう考えると、日本舞踊はただ単に昔の伝統を習うというだけでなく、現代において、その人らしく良い人生を生きるということに活用できると思うのです。
つまり、人々が現代社会において十分に自分自身を生きられていないのなら、それを跳ね返して幸せに生きるために、日本舞踊(他の伝統芸能でもいいですよ!)における身体運用(腰を使った身体の使い方)を活用できるといいな!と思うのです。
ここに伝統芸能を、ただ昔の懐古趣味でなく、現代において習う意義があると思っています。
腰の使い方で人生の質が変わる?~現代に伝統芸能を習う意味とは
以下の文章は、私が今通っている整体の先生の、ある日のtweetです。
「良質な伝統芸能は、身につけておいた方がよい。できれば20歳になる前までに。なぜなら、腰を使わなければ難しいようにできているからです。腰を使わなければ生き残れないような生活の時代に、育まれた文化だからです。腰遣いの質は、人生の質を、文字通り丸ごと変えるものだからです」
解説しますと、今のように機械が何でもしてくれなかった時代には、人々は体を使って生きてきました。体をよりよく効率的に動かすためには、腰をしっかり使わないと長生きできませんでした。伝統芸能は、そういう時代に究極的に美しい腰の使い方を見せる芸術として存在していたと思います。
今の時代は、機械が何でもしてくれますから、そんなに体を使わなくても生きていけます。腰を使わなくても生きていけます。だから目に見えにくい、体の使い方、腰の使い方は忘れさられつつあるのでしょう。その結果として、斉藤教授の書かれているように、「自分がしっかりここに存在している」という感覚がもてないという、現代における生きづらさが生まれているのかもしれません。
伝統芸能のお稽古で、腰の使い方をちゃんと身につけたら、体と心もひっくるめて、人生の質も変わりますよ!という、整体の先生のお言葉でした。
先生にはこんなtweetもあります。
「家庭料理は、腰を入れて作って下さい。腰を抜いた状態で作っていると、腰を抜いた氣が料理に入り、食べる人の腰をやがて抜くことになるからです。料理に限らず氣の交流・相互作用があるのが家庭です。腰は、本当に大事です。本氣の腰遣いで作って下さい。これがご自分にも必ず返ってくるからです」
お料理も日本舞踊と同じく「腰を入れる」といいのですか!面白い!
まずもって私自身、開設したばかりのお教室をコツコツ丁寧に形作っていく所存です。それが「腰を入れて」ということですね!
最後までお読みいただきありがとうございます。
日本舞踊やってみたい!と思われた方は、ぜひ無料体験レッスンにお越しください。