頭の上の空間を意識すると、首が振れるようになります

「首振り3年」という難しさ

「桃栗3年柿8年」をもじって、「首振り3年」といわれているのを聞いたことがあります。日本舞踊の独特のフリである、三つの間合いで首を振る動作。これがちゃんとできるようになるのに3年かかるという意味で、「首振り」(「三つ振り」ともいう)がいかに難しいかを表しています。

私も長年、三つ振りがきれいに決まらない、ということが悩みでした。ビデオで見ると、「う~~ん、いまいち」。それは、自分で踊っている感覚としても、「うまく振れてない」というふうに分かるのです。

女形の三つ振りは

1)首を軸にして、振る方を向く 2)振る方向にあごを向けて傾ける 3)あごをしゃくうように動かして反対側に傾ける

の3つの動作です。2)と3)では、首、肩、胸を柔らかく使うのですが、これはもう、一緒に立ちお稽古してくださるお師匠さんを見て、必死に真似るしかありません。

私の場合、なかなかきれいにできないのが、1)でした。頭のてっぺんから軸を通し、首を振るだけのこの動作が、意外と難しいのです。首を振ると「アッチムケホイ」と横を向くので、正面の鏡でチェックできないことも、練習を難しくしています。

三つ振りでなく、1)の振るだけという動作は、例えば、「近江のお兼」「供奴」など、登場の場面で、あごをしゃくりながら首を右、左、右と振ってキリリと見せるというフリになっていますが、これがなかなかかっこよく振れないものです。

ことほど左様に、首をかっこよく、あるいはきれいに振れれば、「もうこの人はいっぱしだ」と思われるようになるほど、難しいワザだと思います。

頭の上の空間を意識しながら歩くレッスン

さて、長年の懸案だった「首をきれいに振る」という課題。この課題が、一段、階段を上ったような感覚がありました。それは、私が受けているロルフィングのあるレッスンの中での出来事がきっかけでした。

それは「頭の上の空間を意識する」というレッスンでした。そのときは頭の上にティアラがあると想像して、そのティアラが動かないように意識しながら歩くというもの。頭の上に何かものを載せていると考えると、自然と頭のてっぺんが天をつくような感じになります。指導者の人に「とてもいい。普段からそうやって歩くといいのに」と言われて、普段、自分がいかに下の方ばかりを見て歩いていたかに気づかされたのです。

頭の上の空間を意識するレッスン

踊りでは、例えば「浅妻船」の出。小鼓を持って船の中に座った白拍子が、船に揺られています。船が揺れるので、体が揺れるフリでは、右肩、左肩、右肩を曲に合わせてゆっくりと落とします。落とした肩につられて首が動き、頭が傾きますが、そのとき師匠から、「頭のてっぺんは動かない!」と注意されました。曲がゆっくりなため、余分な動きをしてしまい、軸がぶれてしまうのです。

軸がぶれないためにはどうしたらいいのか?そこで、この「頭の上の空間を意識する」を応用すると、頭のてっぺんを天につらぬく軸を意識することができるようになるはずです。

頭上の心地よさを体感し、楽しく首が振れるようになった

人は誰でも、頭の上から背骨を通って、地球の中心を貫くような軸をもっていると思います。その軸に沿って立っていれば、自然に美しい立ち方になりますよね。踊りは、日本舞踊に限らず、この軸がきちんと使える動作を、見る人が美しいと感じるのでしょう。

私の場合、何となく身体の軸が曲がっているのです。それは、感覚だけでなく、鏡で身体を見ると、微妙に左の肋骨の角度が曲がっているように見えます。仰向けになった私の身体を触診していた指導者の方が、「昔、何か事故に遭って、頭打たなかった?」と聞くので、「そういえば、昔同じことを聞かれたなぁ」と思い出すと、20代の頃に受けていた鍼灸師の先生にそう言われたことを思い出しました。

子どもの頃、頭を打った経験というのは、私の場合、一つしか思い浮かびません。それはなんと、「靭猿(うつぼざる)」の稽古のときだったのです。当時6歳ですから、もう50年以上も前です。

「靭猿」は、狂言から生まれた演目です。ある大名が靫になる猿の皮を探していたら、折良く猿が猿まわしから逃げてやってきた。大名は猿を殺そうとするが、あまりにも可愛く踊るので、あわれを感じて、殺すのを諦めた。めでたし、めでたし、と最後は大名、付き人、猿まわしが踊る、というストーリーです。

猿まわしは猿(私)を抱きかかえたり大変です!

私が頭を打ってしまったのは、猿まわしの方が私の足を取って逆立ちするという場面の稽古でした。運動神経も筋力も人並み以下だった私は、逆立ちしたときに間が悪く、頭から床に落ちてしまったのです。

そのときお稽古していた皆が駆け寄ってきて、「大丈夫?」と聞きました。決まりが悪かった私は(見えっぱりだったし:汗)、すぐに「大丈夫」と言ってしまいました。また、かすかに覚えているのは、そのとき外が雷雨で、お稽古場が停電になったようなのです。真っ暗な中で、「大丈夫」と言ったような…

ロルフィングの指導者の方によると、過去に危ない目に遭ったことによって、身体が無意識にぎゅっと縮むようになってしまう、それで曲がってしまったのではないかということです。

不思議なのは、なぜ50年もつづいたのかということです。もし私が大泣きするとか、頭を打ったショックを訴え、皆さんから慰められたり癒やされたりしていれば、残ることはなかったのですが、それをしなかったがために、身体がやりきれなかったことをやりきろうとして残ってしまうのだそうです。

それはもちろん、すべてが偶然の産物で、誰も悪くはなかったのですが、誰が悪くなくてもこういうことは起こりうるのだと、指導者の方は教えてくれました。(私にとって「靭猿」の舞台経験は、皆さんに優しくしてもらった暖かい感触に満ちた思い出しかなく、頭を打ったなんて忘れちゃっています。それをトラウマのように身体が覚えていたなんて…)。

ロルフィングのレッスンでは、私は仰向けになって頭の上にゴムボールのようなものを乗せられ、身体全体を使って頭の上のゴムボールを押し、頭のてっぺんが「心地良い」という体感をさせてもらいました。

すると不思議、そのとき私の口から思わずもれた言葉は「もうでんぐり返しをしてもいいんだ」でした。

はぁ?でんぐり返し?

私はもういい年をした大人で、でんぐり返しなんてしません(森光子さんの『放浪記』でもあるまいし)。そのときだけ子どもに戻ってしまったかのようでした。

頭上の空間への”恐れ”を手放し、頭のてっぺんを使ってでんぐり返しをしても大丈夫なんだ、とようやくにして身体が納得したのでしょう。この体験によって、今までまったくお留守だった頭の上の感覚を取り戻したように思います。

頭の上の感覚を取り戻すと、そこに軸を思い浮かべて、首を振ることができるようになりました。というより、首を振ることが楽しくなったのです。例えば、「子守」のような小さな子どもの演目では、三つ振りはかわいくなるよう派手に振りますが、それが本当に楽しく振れるようになりました。


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