80代で日本舞踊を始め、90代の今もお稽古を続けるKさんのこと

私が教えている方で、90代のKさんがいらっしゃいます。お稽古を始めて10年。つまり日本舞踊を始めたのが80歳代なのです。それ以前の経験はなく、まったくの初心者でした。

80歳代で新しいことに挑戦する、その心意気が素晴らしいと思いませんか! 私はKさんからたくさんのことを学ばせて頂きました(もちろん、今も)。今日は、そのKさんについて書きたいと思います。

Kさんとの出会い

Kさんとの出会いは、私がまだ会社員として働きながら、日本舞踊を教え始めたときのことです。会社(都内)の近くにお稽古場を探していましたが、その自治体の公共施設はなかなか思うように借りることができませんでした。

そのとき、たまたま知り合いの知り合いというつてで、ご自宅の和室を貸して下さったのがKさんだったのです。

ある日、私が弟子にお稽古をつけていると、Kさんが「見学したい」と、お稽古の様子を見にこられました。座ってご覧になりながら、一緒に手足を動かしたりされています。「もしかしたら、踊ってみたいのかな?」と思った私達は、「一緒にお稽古しませんか?」とお誘いしてみたのです。

Kさんはビックリされたそうです。もう80歳代で、日本舞踊なんてできるのかしら?と思われたと。しかし、私は「やってみましょうよ」と、背中を押しました。

今から思えば、それこそが、Kさんが今もお元気な秘訣だと思うのですが、80歳代にして新しい挑戦を始めることのできる、頭と心のやわらかさ・しなやかさをお持ちだったのです。

広がったKさんのご縁

Kさんが自治体の住民であったおかげで、公共施設を借りることが容易になる「団体登録」を行い、お稽古をKさんのご自宅でなく、その近くの公共施設の和室で行うことができるようになりました。

心臓にやさしい帯の締め方を工夫する

Kさんは、戦後ご主人と商売を始められ、成功された方でした。お孫さん、ひ孫さんもいらして、ご家族とスープの冷めない距離で住んでいます。この年齢の方なら誰もが持っている持病もありますが、ご自身できちんと健康管理されてお元気です。体調がすぐれなかったりケガをされたときなどには、1週間も前に「大事を取ってお休みする」とお電話をくれます(若い人が当日メールでドタキャンするのと大違いです)。

雪が降ったときは、「転ぶといけないから」とお休みされたこともありました。「年齢が年齢だけに、いつまで続けられるかしら?」と思いつつ、私の姿勢としては「お元気である限り、続けていこう」と思っています。

月に2回のお稽古ですが、若い人の方がなかなか続かないのに、Kさんのお稽古は”細く長く”続いています。Kさんが真面目で律儀であることが大きいと思います。

数年たってKさんのヘアスタイルを整えている美容師さんが「Kさん、背中が丸くなりませんね」と声をかけました。Kさんは「実は日本舞踊を習っていて、普段でも姿勢に気をつけているのよ」とお話されたそうです。

驚くことに、そのお話がきっかけになって、くだんの美容師さんがお稽古に加わることになり、さらに、その美容師さんを通じて、またお一人ご紹介があり…と、お稽古場が賑やかになっていったのです。皆さん、70代、80代とご高齢ではあるのですが、80歳代で始めたKさんという実例がものを言い、「私もできる」と思われたのですね。まさにKさん効果です。

高齢者のお稽古の工夫

Kさんに一番始めにお教えしたのは、小曲「夕暮れ」それから「潮来出島」。おさらい会で、「秋の夜」や「奴さん」を踊ったこともあります。

「なかなか覚えられない」と嘆かれるのも、お気持ちが分かるので、短いものをおぼえていただき、踊れるようになったら、繰り返し毎回踊って頂きます。ご高齢の方のお稽古は、そういうやり方がよいようですね。

立ったり座ったりが激しい踊りも難しいかもしれません。早い間の踊りよりゆったりした間の方が、高齢者自身のゆったりした動きにマッチすると思います。

下半身の使い方をお教えする

Kさんのご親戚でお琴をされている方がいらっしゃったので、「箏曲・六段」をお教えしました。六段は、歌詞がないので実は難しい踊りですからビックリするでしょう?Kさんはコツコツと振りを覚えられました。

六段には、女形のご祝儀ものの基本的なフリがたくさん入っています。「順序を覚えると、(フリの基本について)お師匠さんにいろいろと教えて頂くことがよく分かる」とおっしゃっていました。

DVDなら自分で見て家でお稽古できるのではと思い、DVDを作ってさしあげたところ、Kさんは熱心に予習をしてこられ、分からないところを質問されます。そういう方はなかなかいらっしゃらないので、Kさんの探究心にはいつもビックリさせられます。

思うのですが、高齢になってもまだまだと前を向いて新しいことに取り組む姿勢や、そうした探究心こそ、心や頭を若くし、いつまでもお元気なのでなないかと思います。

Kさんの思い

親子ほど年齢の若い私が師匠で、「やんややんや」と注意されるのは、高齢の方にとっては面倒くさいと思われるのが普通だと思います。Kさんも正直にこう言われます。「ストレスでないとは言えません。お師匠さんに『お稽古を楽しんで』と言われるけれど、なかなか楽しいというわけにはいきません」と。

それでは、日本舞踊をやってよかったと思うことは?と問うと、「お稽古が一番の老化防止、脳の活性化になっています」と言われます。そして「お師匠さんは私の娘、一緒に習っている子は私の孫やひ孫の世代。いろんな世代の若い人とお稽古できるのが幸せです」とも。嬉しいことに、「歌舞伎を見ても、所作に目がいくようになって、前より面白みが出てきた」そうです。

そして「もう少し若かったら名取りに挑戦するとか、もっとやりたかったですけど、もうそんな年ではありません。私のような高齢者で、お師匠さんも張り合いがないのでないかと心配」と、私にも気を遣ってくださいます。

ご高齢の方は礼や義理を重んじられます。そのことは教室全体の雰囲気を良くします。50代の私よりも、80代90代の方の振る舞いの方が、説得力があるのではないかと思うのです。

踊りの師匠は私かもしれないけれど、人生の師匠はKさんです。90代ですから、長生きのコツを教えて頂いているのです。ご高齢ですからうっかりされることも、もちろんあります。そんなときKさんは、「わっはっはっは!いや~ね~」と笑いとばされるのです。これこそ、Kさんが長生きのコツだと、私はにらんでいます。

介護予防とスピリチュアリティ

私が高齢者の方のお稽古を積極的に取り組んでいるのは、たぶん、編集者時代に介護のことを勉強したことも大きいかもしれません。

要介護にならないための介護予防という考え方がありますが、高齢期は、身体の老化や、つながる人が少なくなるなど、人生の中でも喪失と悲嘆の時期であり、なかなか健康な心身を維持するのが難しい。日本舞踊は、高齢者でも楽しく無理なく体を動かすことができますし、教室という場で人と人のつながりをつくることができます。まして、日本の伝統文化は、老いを尊ぶという思想もあります。

介護予防というのは、日本舞踊の今日的な存在意義にもなるのではないでしょうか。そして、人生の最終盤にいただいたご縁を大事にすることは、スピリチュアルな意味があるとも感じます。

80歳を過ぎてもできないことができるようになるーー私がKさんから学んだことは、指導者として人に教える際にも、教室運営の面でも必ず役に立つと思っています。


最後までお読みいただきありがとうございます。

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