坂東三乃智 日本舞踊教室
プロフィール
ごく簡単な自己紹介
- 出身 東京都江戸川区
- 在住 千葉県船橋市
- 出身校 上智大学経済学部
- 趣味 山登り
- 家族 夫とメダカ
踊りの経歴
1962年生まれ。3歳~10歳で日本舞踊坂東流・坂東三津時師に師事。1990年(29歳)に再開し、坂東三之喜久師に師事。2007年坂東流名取試験に合格。坂東三津五郎家元より芸名「三乃智(みのとも)」をいただく。会社員のかたわら、日本舞踊とともに、きものの着付けと礼法を学ぶ。2011年~副業として東京都新宿区で教え始める。17年、三之喜久師の逝去に伴い、坂東春敏師に師事。18年師範試験に合格。20年千葉県船橋市に坂東三乃智日本舞踊教室を開く。
日本舞踊との出会いと これまでの歩み
子どもの頃の出会いというのは、不思議なものです。
1960年代の半ば、日本は高度経済成長のまっただ中。私の家はお酒を中心とした小売り業を営むお店で、父も母も忙しかった。あるとき、楽しそうに一人で歌ったり踊ったりしている私を見た父が、このたまたま近くにあった日本舞踊教室のお師匠さんのところへ、私を連れて行ったのです。
3歳~10歳まで習いました。「妹背山」の橘姫、「鏡獅子」の胡蝶、「靭猿」の猿 等、たくさん舞台をふませていただきました。このことは私の心の財産となっています。
でも、基本は”恥ずかしがり”でした。小学校高学年になってやめてしまったのは、お稽古事か?学校教育か? 親たちは、どちらにお金をかけるべきか、迷ったかもしれず、それを子ども心に察したのかもしれません。
大人になって再開した理由
大学卒業後、暗中模索の20歳代をへて、編集者という職業についたとき、「これで何とか自立できそうだ」と余裕ができました。そこで自分の心身を健康に保つため、あるいは人間としての幅をつくりたいとも思い、何か趣味をもちたいと思うようになりました。
このとき下宿していた大家さんに紹介してもらったお師匠さんも坂東流。抜群に踊りがお上手な方でしたが、反面、言葉数が少なく、お稽古は、ひたすら一緒に踊ってフリ(振り付け)を覚える、というものでした。
しだいしだいに、三味線やお囃子と唄にあわせて踊ることの気持ちのよさを知るようになりました。そして、歌舞伎座に私の好きな、踊り上手の役者さん(中村富十郎さんや中村勘三郎さん、もちろん坂東三津五郎家元)の踊りがかかると、一幕見(4階の一番安い席)で観にいっていました。
30代で結婚したとき、夫が反対すれば辞めたと思いますが、たまたま夫は歌舞伎が好きな人で応援してくれました。
踊りをやめなかった理由
私が踊りをつづける原動力となったのは、もちろん好きだったこともありますが、「身体を使うことが、いかに健康に生きるために大切か」を切実に感じたからだと思います。
私が働いた1990年代から2020年という時期は、IT技術が飛躍的に発展し、仕事のスタイルが大きく様変わりした時期でもあります。仕事はひたすら頭と目を酷使する作業となり、オンとオフの差が見えにくく年中仕事に追われ、締め切り前は終電、しばしば徹夜ということもありました。
そうしてクタクタになった心身をいやしてくれたのが、踊りでした。江戸時代の空気がそのまま流れるような時間と雰囲気のなかで、身体を使って踊ることは、脳や身体の中で、今まで使われていなかったところが息を吹き返していくような……。だから、いくら忙しくても、お稽古する時間は、私にとってかけがえのない時だったのです。
もう一つは、整体との出合いもあるかもしれません。30代の終わりに流産を経験した私は、体中が痛くなるという症状を起こし、いろいろな治療法にアプローチした結果、最終的に立ち直ることができたのが野口整体のおかげでした。
野口整体とは、野口晴哉氏(1911~1976)が提唱した整体法で、古くからある伝統的な健康法を体系的にまとめあげ、治療法としてだけでなく、自分で治っていくための方法として普及させたものです。
そのなかで、日本人が経験的に積み上げてきた「身体の使い方の技」があり、日本舞踊だけでなく、能楽や武術などでも、それらが伝えられている、ということを知ったとき、私も日本舞踊を通じて、後の世代に伝えていきたい、と思うようになりました。
人生のセカンドステージに踊りを教える
こうして私が、日本舞踊を教えることを意識しはじめたのは40代になってから。名取りの試験やその11年後には師範試験を受け、「もっと上手にならないといけない!」と積極的に舞台に出るようにもなりました。
「50歳になったら、会社員をしながら副業で教えよう」と思っていたのですが、東日本大震災があったため、それを前倒しし、49歳から都内で会社関係の知り合いに教え始めました。
それから10年、満を持して地元に日本舞踊教室を開いたのですが、コロナ禍とぶつかってしまいました(・・;)それでも私は前を向き、頭を振り絞って考えていきたいのです。30年編集者として働きながら日本舞踊をつづけてきたからこそ、初めてやってみたいと思う人に楽しんでもらえるような教室にしていきたいと思います。